Big Dipper

人生は長い航海のようなもの。穏やかに・幸せに過ごすためのtipsを綴る。

就職活動の想い出(両親の温もり)

 今年はもうすでに就職活動を終わらせている学生が多いとのこと。この時期になると思い出す、自分の就職活動のことについて書こうと思う。

 今振り返ってみると、私の就職活動はひどいものだった。はじめの頃は企業研究もろくにせず、世の中によく知れ渡っている大企業を中心に考えていた。自分が何をしたいのか、どう貢献できるのかなど良く考えもせず、「なんとなくここが良さそうだなぁ」という安易な考えでエントリーシートを送っていた。案の定、そのような薄っぺらい学生に内定が出されるはずもない。エントリーシートは通過しても、面接で落とされる日々が続いた。

 そのような日が1ヵ月ほど続き、周囲に内定を持つ学生が増えると、さすがに私も落ち込むことが多くなった。当時は就職氷河期だったこともあり、「このままずっと内定が得られないのではないか」という思いから、「やっぱり私はダメなんだ」「これから先、人並みの生活をしていけるだろうか」と、不安は広がるばかり。街を歩いていても自然と俯きがちになっていた。

 当時は大学近くに一人暮らしをしていたので、両親と連絡するのは多くても週に一度。しかしいつまで経っても就職先内定の連絡がないのを心配したのだと思う。ある日、母から宅配便が届いた。箱を開けると、私が大好きなお菓子。それから健康を気遣う短い手紙。あえて就職活動のことに触れず、子を信じてくれている母の優しさに涙がこぼれた。昨今は、親が就職活動に参加することもあるということだが……。

 その後しばらくして良い縁に恵まれ、今に至る。必要以上に干渉しないという両親の温かさは忘れることはない。

ニューヨークでの落とし物②

 昨日はニューヨークで自分の携帯電話をなくしたことを書いた。この旅では、同じタイミングで携帯電話をなくした人に出会った。ニューヨークのど真ん中で“情けは人の為ならず”を感じた出来事であった。人は助け合いながら生きている。

 道を歩いていると、一人の男性に韓国語で声を掛けられた。どうやら私が韓国人に見えたらしい。「すみません、日本人なので韓国語は分からないんです」と私が言うと、彼はがっかりしたように見えた。どうやら彼は英語があまり話せないらしい。うまくない英語同士で会話したところ、彼は先ほど乗ったタクシーの中に携帯電話を忘れてきたということが分かった。そして英語が話せないので途方にくれていたというのだ。

 そこは彼が泊まっているというホテルの前だったので、フロントで電話を借りタクシー会社に電話をかけた。だが一口にイエロータクシーと言っても、様々な組織があるらしい。どこのタクシーに乗ったかが分からないと対応できないとのこと。領収書があれば一発で分かるが、彼は持っていなかった(この経験から、今後は必要なくてもタクシーの領収書はもらっておくものだと思った)。

 結局、彼の携帯電話を取り戻すことはできなかった。同じニューヨークの街中で携帯電話を落として途方に暮れている一方、他人の携帯電話探しに微力ながら協力するという偶然の出来事だった。この時は自分もとても困っている時だったので、どうしても見捨てることができず協力したのだが、いつでも自然と相手の為に力になれる行動をしたいと改めて思ったのである。

ニューヨークでの落とし物

 数年前、一人でニューヨークを訪れた。初めてのニューヨーク。大都会に緊張しながらも、滞在中の楽しみに心躍る気持ちであった。

 しかし、その気持ちも一転。空港からニューヨークの街中へ移動するバスの中で、携帯電話を落としてしまったらしい。手荷物をいくら探しても見つからない。確かにバス内でその携帯電話を出して使っていた。そのままバス内に置き忘れてしまったのだろうか。頭の中を悪い想像がぐるぐると駆け巡る。

 ここはニューヨーク。これは日本でも手元に戻ってくるか怪しい話だ。ましてやニューヨーク。誰かが発見して悪用するのではないか。いや、そうでなくてもバス会社で落とし物がきちんと管理されているかも不安だ。たとえ万が一に見つかったとしても、この短い滞在期間(確か3泊4日程度だった)で受け取ることは可能なのだろうか……。

 幸いにも、私の手元には電話ができる携帯電話がもう一つあった。ひとまずバス会社のLost & Found(落とし物)担当へ電話を掛けるしかない。電話を掛けると、はじめに音声案内があったのだが、そこですでに何を言っているのか分からない。私は自分の英語力に落胆したが、何度も何度も掛け直した。番号を間違え違う担当に繋がりながらも、最終的にそれらしいところへ繋ぐことができるようになった。

 しかしやっと繋がったものの、どうやらそこには私の携帯電話のような外見のものは届いていないらしい。やはりダメか……。私はバス内での自分の不注意を悔いた。しかし、まだ届いていないだけかもしれない。もしくは私の発音が悪く、正しく伝わっていないだけなのかもしれない。そして、それから1日に何度もバス会社へ電話し続けた。

 ニューヨークを発つ前日、またダメかと半ば諦めつつ電話すると、なんと私の携帯電話があるというではないか。翌日のバス乗り場で引き渡してくれることとなった。それから場所・時間を約束し、無事に受け取ることができた。その時の安堵感、達成感は何とも言い難かった。全ては自分の不注意から始まったことであり、実際は本当に受け取ることができるか、受け取る瞬間まで本当にドキドキだったのだが……。

 今回はただただ運がよかったのかもしれない。しかし、諦めないことの大切さを身をもって感じた。そして人を信じること、人々が行き交うニューヨークにおいても、人と人の繋がりは捨てたものじゃないと強く思ったのだった。

どんなときも。

 今日はとても久しぶりに泣きたい気分だ。放っておくと自然と涙が出てくる。そんな中、頭の中に槇原敬之さんの“どんなときも。”が流れてきた。この曲を聴くと、このまま落ち込んだままではではだめだよ、元気出さなきゃね、と少し前向きになれる。

 

以下、引用。

“どんなときも どんなときも

 僕が僕らしくあるために

 「好きなものは好き」と

 言える気持ち 抱きしめてたい

 どんなときも どんなときも

 迷い探し続ける日々が

 答えになること 僕は知ってるから“

 

 どんな状況にあっても、考え続けること、自分らしくあること。自分が悲しみの壁を乗り越えるためには、自分で考えなくてはいけない。たとえ少々長い時間がかかっても。やり過ごすだけなら、いつかまた再び同じところに戻ってきてしまう。人一人ができることは小さいようで大きい。ネガティブな気持ち・状況を、ポジティブに変えることもできる。全ては自分次第。どんなときも、希望を持って前向きに生きて行きたいと自分に言い聞かせる。

キーホルダーの想い出

 学生時代、大学付近の喫茶店でアルバイトをしていた。来店したお客さんの注文を聞いたり、食事や飲み物を出したりしていた。この喫茶店には常連さんがたくさんいたが、その中には喫茶店の隣に住んでいるおばあちゃんもいた。いつもカウンターに一人座り、マスターに話かけていた。

 ちなみにここは住みやすい大きな街。高級住宅も多い。このおばあちゃんはここにある大きな家に一人で住んでいた。昔からお家柄もよく大変なお金持ちだったようだ。しかし当時は、親しい身内も友人もいないとのことだった。喫茶店に行くのはひとつの楽しみだったのではないかと思う。

 ある時、喫茶店に来られたおばあちゃんにいつものように挨拶すると、おばあちゃんはポケットからキーホルダーを出し、「いつも笑顔で挨拶してくれるから」と言って私に渡し、喫茶店を出て行った。そのようなことは初めてだったので私は驚いた。

 後で知ったのだが、それはよく知られたブランドのものであった。デザインも手触りもよいため長年愛用させてもらっている。もうそのアルバイトはやめてしまったが、元気だろうかとふとした時にこのおばあちゃんのことを思い出す。

Count on me

 ひょんなことから数年前、Bruno Marsを好きになった。当時はまだ日本ではあまり知られていなかったのだが、一時期とてもはまって聴いていた。その中でも私が一番好きなのが”Count on me”という曲。Bruno Marsが優しく語りかけるように、友情について歌っている。柔らかく、ほっと安心できる時間だ。一曲聴き終えると、自分の心も穏やかになっているように感じる。

 

 この曲の中でも一番好きなのがこの部分(訳は私が勝手につけたもの)。

“You can count on me like 1, 2, 3, I'll be there.

 And I know when I need it

 I can count on you like 4, 3, 2, You'll be there.

 'Cause that's what friends are supposed to do.”

(僕を頼っていいよ。1、2、3と数えると、僕はそこにいる。

 僕も必要な時は君を頼るよ。4、3、2と数えると、君がそこにいる。

 それが友達というものだから。)

 

 このような友人を何人持っているだろうか。私は友人というものは多くなくていいと思っている。もちろん友人が多くて困ることはないと思うが、無理に友人に合わせることはないと思っている(常識的な人付き合いは必要だと思うし、私もそのくらいはできているはず……)。この曲のように、離れていても強い信頼関係で結ばれた友人は一生の宝になると思うのである。

 普段の生活に少し疲れた時、ひとり寂しくなった時、この曲を聴いてみよう。

上司の言葉

 先日、昔の上司と会った。その上司には、そこで働き続けるかどうかを悩んでいた時に相談にのってもらっていた。結局、当初と環境が変わってしまったため、私は働くことを止めた。その上司がこの度転勤でこの地を離れるということで、どうしてもお礼を言いたく無理に機会を作ってもらったのだ。

 「その時その時で最善の道に進めばよい」上司はそう言った。会社や上司などに義理を感じる必要もない。周囲の目を気にするべきではない。また環境は刻々と変わるもの。その度に自分にとってどう生きるのがいいか確かめながら進むのだ。

 実はこれはアメリカにある会社の話なので、多くの人がやってきては去っていく。それはキャリアアップするために当たり前のこと。ただ日本はまだまだ“勤め上げる”という考えが根底にある。会社によっては、上記のような考えは難しいかもしれない。しかし結局のところ生きるのは自分。自分の人生は自分のもの。自分が納得できるまで考え、そう進むのが一番良いのだ。職場の上司としてだけではなく、人生の先輩として勉強になった話となった。