Big Dipper

人生は長い航海のようなもの。穏やかに・幸せに過ごすためのtipsを綴る。

【書評+α】世界はひとつの教室 サルマン・カーン著

1. 著者サルマン・カーン(Salman Khan)とカーン・アカデミー

 もともとはヘッジファンドで働いていた著者が、オンラインで学べるカーン・アカデミーを立ち上げるまでの経緯や、著者の考える理想の教育などが、この本で紹介されている。読後は視野が広がり、教育についてもっと考えたいと思うようになった。

 カーン・アカデミーの理念

 “ひとつの教室”であるカーン・アカデミーの理念は「質の高い教育を、無料で、世界中のすべての人に提供する」というもの。例えば、十分な教育が行き届かない貧しい地域に住んでいる子どもたちへ、というのは想像しやすい。しかしこの本を読み進めていくと、その理念は決してそのような子どもたちにだけでなく、日本国内に住む大人たちにも向けられていると分かる。

 学習の責任者は学習者にある

 現状の学校では、理解度別クラスによる“レッテル”であったり、担任や教科担当の先生との“相性”であったり、そのような自分ではコントロールできないものが、一人の子どもの将来を大きく左右することがある。カーン・アカデミーでは全ての人に学ぶ機会を平等に与えることにより、今まで当たり前に感じていたこのような問題を解決できる可能性が大いにあると感じた。著者の考えは「学習の責任者は学習者にある」。私たちは自らが学べないことに対して、何も言い訳ができなくなる。

 

2. 著者の目指す理想の教育とは

「将来何を知っていなければならないかが正確に予測できない以上、大切なのは何を教えるかではなく、どのように独学の姿勢を身につけさせるか」

この言葉を、私は著者の考える教育の意味だと捉えた。人々が人生を生き抜くために、この“独学の姿勢”がキーとなる。

 現代の教育の課題

 著者はこの本の中で、現代の教育(プロイセン・モデル)の課題をいくつか挙げている。プロイセン・モデルの作られた時代や理想の人物像は、現代のそれとは全く違う。それにも関わらず、同じ教育モデルを使っていることからその課題が生じているとのこと。課題の例は日本の教育を受けた人なら、どれも当たり前だと思い込んでしまうようなことである。

 例)

  • 学習が講義時間で区切られている。
  • 理解度が生徒によりバラバラ(75〜80点で合格。2割は分かっていない)。
  • 能力別クラス編成(よくできる子だけを集めたクラスやその反対)。
  • ある年齢(中学・高校や大学)で終了する。
  • 年齢層別養育(同じ年齢の子どもだけで同じ箇所を学習する)。
 著者の考える理想の教育

 上記のような現代の教育課題を踏まえて、“独学の姿勢”を身につけるための著者の思い描く理想の教育を知ることができる。

 例)

  • 完全習得学習(高い理解度を固定し、理解にかける時間を自由にとる)
  • 知識マップ(学習内容の関連性を示すマップ。これにより教科をまたいで様々な単元の関連を知り、またその単元を学ぶ意味も理解できる。)
  • 教育は生涯続くべき

  ヘンリー・フォードの言葉が引用されていた。

20歳であろうが80歳であろうが、学ぶのをやめた人は老人である。学びつづける人はいつまでも若い。人生で最も大切なのは、心を若く保つことである。

  また、多くの人が学ぶことをやめてしまうことは、民主主義の崩壊につながることも示唆している。

世界がますます複雑化する中、そこで何が起きているのか、それはなぜなのかを一般の人たちが理解できなければ、真の民主主義は危険にさらされます。

  • 年齢混合クラス、そして複数のクラスを統合し複数の先生で見る。

 

 著者のTEDトークは、本の中では見られない授業の様子などを映像で見ることができる。

www.ted.com

 

3. 今の日本の教育課題に対してヒントになるのでは

 多忙な学校現場、教員不足、モンスターペアレンツなど、現代の日本が抱える問題は多い。著者の考える教育は、現代の日本の教育システムと大きく異なるため、そのまま当てはめることは難しいかもしれない。しかしテクノロジーの力を上手に利用することで、少しでも良い方向に進むのではないか。何が正解かはやってみなければ分からない。が、本に書かれていたように、今の教育を疑い、変え続けていかなければならないことは確かだ。著者の思い描くスケールの大きい教育改革を目の当たりにし、この気づきを得られただけでも、私にとってこの本を読んだ価値は大きかった。

“大臣にお仕えする”という言葉

 少し違和感を感じていることがある。それは、省庁などでしばしば耳にする「〇〇大臣にお仕えする」という言葉である。私はこのような現場で働いた経験がないので、発言者の意図するところ、感覚が分からない。しかし、もし〇〇大臣のために仕事をしているという感覚なのであれば、やはりおかしいと思うのである。

 一般企業であれば、大抵、仕事はお客様のためにするものではないかと思う。たとえ自分の仕事が、お客様の手に渡るためにその後多くの行程を踏むにしても、最終的にはお客様につながっている。ここで言うお客様とは、取引先や市場の一般市民を想定している。あるいは総務や人事など事務系の仕事であれば、自社の社員のために社内制度を整える等、狭い意味では社員がお客様とも考えられるかもしれない(但し広い意味で捉えると、それらを整えることによって自社の生産性を上げることにつながり、それは例えば製品の価格等に反映されるのであって、やはりお客様は社外にあるのだと思う)。

 ○○大臣は発言者の上司である。発言者が上司のために仕事しているとすると、何だかおかしなことにならないだろうか。上司がよしとすることを粛々と進めていくイメージである。「お仕えする」というからには、上からの命令を責任を持って全うするイメージだ。これも勝手なイメージだが、鎌倉幕府の“御恩と奉公”のような主従関係を想像してしまう。もちろん、省庁の方々は一人ひとりがお客様(国民)のことを考えて仕事してくれているはずである。しかし、言葉の持つイメージは大きい。言葉がひとり歩きすることもある。使っているうちに自分の意識も間違った道へ進んでしまうこともあるのではないだろうか。

 さて私たち国民はお客様なのだろうか。今後の日本はどうなっていくのだろうか。

Step by step

 最近、ある人の勧めもあり、新しいことに挑戦してみた。その日に向けてできるだけのことをしようと、自分ではかなり準備して臨んだつもりだった。しかし、当日いざ蓋を開けてみると、自分が思い描いていたのとは違う展開に……。その結果、焦りで自分を見失い、残念な結果になってしまった。なぜこうなってしまったのか。

 後日、それを勧めてくれた人に、実はこういう風になってしまったんだと、メールで簡単に報告した。せっかく進めてくれたのに申し訳ないという気持ちや、失望しているかも、もしかしたら怒っているかもしれないなという気持ちが頭の中をかすめた。そして返信があるまでの時間が、とてつもなく長く感じられた。

 しかし待ちに待った返信は、とても優しいものだった。”Step by step. あなたはよく頑張ってるよ”と。この言葉に大変励まされたのは言うまでもない。ああ、なんと心の広いお方だろうかと思った。

 この挑戦は週に一度で暫く続く。少しずつでも改善するよう、もがいて行こう。Step by step.

Bruno Marsの成功の裏側

 Bruno Marsは、今や全米でもトップクラスの人気のある歌手である。人は有名になったり立派な功績を遺したりした時、その表の光が当たっている部分に目が行きがちだ。が、その裏にはいつもたゆまぬ努力があると思う。私はYouTubeでたびたび有名人のインタビューなどを視聴する。その中でも、Bruno Marsが語っている言葉は心に残っている。Ellen DeGeneresが司会を務める番組内での1コマである。

 ※訳は私が適当につけたもの

 

 Any young aspiring musicians out there

  若い熱烈なミュージシャンへ

 If music is what you want to do, If music is what you love and passion

  もし音楽が君のやりたいことなら、もし音楽が君が愛し情熱を注いでいるものなら

 It doesn’t take a fragrance, It’s not about the tabloids

  それは雰囲気ではない、タブロイド紙でもない

 It’s about you putting in the work

  作品を作るのは君だ

 Practicing every day

  毎日練習するんだ

 Practicing your vocals, practicing your instrument, and practicing songwriting

  歌を練習して、楽器を練習して、歌詞の作り方を練習して

 And hopefully one day you write the song you know the whole world wants to get down to

  いつか世界中が夢中になる歌を作る

 One day you’re going to have your moment to shine and you’re going to have a lot of people saying that you can’t do it and you’re not good enough

  いつか君が輝く時が来ると、君はそんなことできないとか、そんなにうまくないと言う人がたくさんいる

 but I promise you

  でも約束する

 If you go out and you sing and you put your heart and soul into it and you follow your dream

  外へ出掛けて心と魂を入れて歌い、夢を追っていれば

 One day you’re going to be sitting next to Ellen

  いつか君はEllenの隣に座っているんだ

 Talking about how you broke the record and rocked the Super Bowl

  記録を破りスーパーボールに出たって話しながらね

 

 あまり真面目そうには見えない(失礼!)と思っていたBruno Marsだが、やはり成功の裏にはたゆまぬ努力と自分の夢を信じる力があるのだ。道中何があっても自分を信じ続ければ、たどり着くべきところへたどり着くはず。そうやって自分を励まし続け、今日も努力を重ねていこう。

努力を重ねること

 私が何度も読み返す本の一つが、日経WOMANが編集している“妹たちへ”という本である。プロフェッショナルな女性の方々が、一般の女性へ向けたリレーエッセイをまとめたものである。その中でも近頃、私の心に引っかかるのは橘・フクシマ・咲江さんのエッセイである。

 このエッセイの中で橘さんは、「人との出会いを大切に。その出会いで機会をつかんだら努力して。そうすれば、必ず報われるから」言っている。私は少し前に新しい生活を始めたところであり、そこで出会った人が新しい機会を与えてくれたところだ。私には自信も何もないが、やると決めたことは責任を持ってやりきらねばならない。このエッセイを読むと、橘さんももともとは“劣等感”があったり“自信のなさ”があったりしたということ。それを克服するための努力を怠らなかったからこそ現在につながっているのだろう。

 大学時代の部活の先輩を思い出した。本番に向けた練習を、本番直前まで何度も何度も行っていた。「不安をかき消すために練習している」と。私から見れば、それはもう完成されたものだった。しかし、本番は何が起こるか分からない。自分に自信をつけるためにも、これだけ練習したんだから大丈夫と自分に言い聞かせるためにも、その練習は重要なものだったのである。

 大先輩方のメッセージを心に留めて、私は今日も努力を続けるのである。

プラダを着た悪魔とブラック企業

 私の好きな映画。あまりにも気に入ったため、自分でDVDも購入して何度も観ている。簡単にあらすじを紹介すると、主人公のAndyが、仕事の鬼である上司Mirandaから理不尽な要求をされてもくじけずに乗り越えていく話。はじめは泣き言を言っていたAndyだが、周囲のアドバイスも取り入れ、徐々にMirandaの期待を超えていく……。

 私が会社に入って間もない頃、仕事がうまくいかずに落ち込むことが多かった。そんな時、よくこの映画を観ていたのを思い出す。今思い返すと、映画を観ている暇があれば仕事のことを考えなさいという感じではあるが。

 一度、心をバキバキにへし折られてから、そこからどれだけ頑張れるかということは、結構大事だと思う。この映画に出てくるAndyも、はじめは“自分は優秀だ”という自負をMirandaに大きく崩される。また一方で、Mirandaもプライベートでは離婚という大きな落ち込みを抱える。映画ではこの後については書かれていないが、Mirandaはそのことをバネに仕事に更に打ち込んでいくのであろう。私は、よく自分の心を“柳の木のようにしなやか”と言っている。今までしばしば落ち込んできた。ひどい時は2年ほどずっと鬱々と過ごしていたこともある。しかし致命的なほどに、途中でポキっと折れることはなかった。風に吹かれる柳の木の枝のように、一時期下を向いたとしても折れずに立ち直る。これは大切なことだと最近強く思う。

 しかし、どれだけ頑張るかにも限度がある。最近よく聞くブラック企業でも、自らの命を絶つほどまでに頑張る必要はない。ここまでひどい状態だと、自分でも何が正しいか分からなくなっている状態だとは思う。そうなる前に自らを守らなければ。この映画に出てくるMirandaのアシスタントという仕事もなかなかブラックな環境である。Andyの先輩であるEmilyは、この業界に夢を持っている。こんな環境で倒れそうになりながらも、Emilyは自分の仕事に誇りを持って続けている。しかし、Andyは最後にはプライベートが押しつぶされそうになり、仕事を突然やめるという選択をとる。自分らしさが何か分からなくなるのであれば、一度立ち止まってもよいのだ。その境界は人によって異なり、一律では表せない。ただ自分にふさわしい道は、今歩いている1本だけではないということを覚えておきたい。

自分に言い訳できないほどの努力

 数年前、私は自分がやりたいと思っていることを、Evernoteに「夢100」と題して箇条書きに記載した。それは一度自分のやりたいことを棚卸しすることで、夢の実現に近づくということをどこかで聞いたからだった。自分の夢を100個も挙げるのは、なかなか大変だったことを覚えている。ここには所謂“夢”といって連想する大それたものだけでなく、「どこそこに行きたい」だとか「何がほしい」だとか、そのような些細なことも含まれている。しかし残念なことに、初心を忘れた私によってこのノートは長い間開かれず、Evernoteの奥にしまわれてしまっていた。

 ところが先日、転機が訪れた。近頃、集めた情報が多すぎて収集がつかなくなっていたのでEvernoteを整理することにしたのだ。そして私は昔の自分が書いた「夢100」を発見し、愕然とした。今、自分がやりたいことと大して変わらない。ということは、この数年間、私は何をしてきたのだろうか。夢をかなえられないほど多忙だったのだろうか……。

 確かに、言い訳しようと思えばいくらでもできる。まず仕事が忙しかった。残業もたくさんしていたため、平日はまとまった時間の確保は難しかった。週末は平日に手の回らなかった家事に時間を割かなければいけなかった。ライフイベントも多かった。プライベートでも変化点が多い時期だったため、生活の諸手続きにかかる時間も多かった。こういった事柄は時期を過ぎると状況が悪くなるものもあるため、手を抜くのはよくない。そうこうしているうちに、期限を決めなかった夢たちは優先順位が下がっていき、何も前進しないまま今もまだ夢のままであるのだった。

 つくづくこのような自分が嫌になる。しかし、自分の夢をかなえるためには自分が努力するしかない。時間がないのが原因であれば、時間を作らなければいけない。学生時代にお世話になった先輩が「自分に言い訳できないほどの努力をする」と言っていた。たとえ本番で失敗したとしても、「自分はここまでやったのだから」とあきらめがつくというのだ。それを考えると、今の私はスタート地点にも立てていない。私に足りないのは、夢をかなえるまでの目標期限と、それに向けた“言い訳できないほどの”努力。思い立ったが吉日。ひとつずつ夢への一歩を踏み出していこう。